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1970年生まれ。中央大学映画科卒業。イ・ボムスも出演している『ソウル・ガーディアンズ 退魔録』(98年/パク・クァンチュン監督)や、ファン・ジョンミン主演の『ロード・ムービー』(02年/キム・インシク監督)などで助監督をつとめ、本作品で監督デビューを果たした。
子供の頃はOBベアーズの熱烈なファンで、大多数の友達と同じくパク・チョルスン投手が好きだった。カム・サヨン選手のことは、とても下手な選手として覚えていて、兵役中も運動が苦手なやつを「お前はカム・サヨンか」なんてからかったりしていた。でもある日、「なぜ僕は彼を馬鹿にするんだろう」と自問した。彼が敗戦処理専門投手で、1勝しかしなかったからって、同情したり馬鹿にしたりするのは間違いだってことに気づいた。人は夢を持ちつづけることのほうがずっと大切なのだから。 僕自身、中学生の頃から映画監督になることを夢見てきて、当時から「キム監督」と友人たちに呼ばれていた。そして高校時代は、大学の映画科に進学することを夢見たし、カンヌ映画祭でグランプリを受賞する夢も抱いた。第1作にとりかかっている今、僕は命がけで取り組んでいるが、このあと第2作第3作と撮りつづけられるのか、それは誰にもわからない。監督協会に名を連ねていても、たった1作で姿を消す人は数多くいる。だから、カム・サヨンは現在や未来の僕の姿でもあるし、夢を持つすべての人と重なるのだ。 シナリオの第1稿を書き上げたとき、カム・サヨンさんに会いに行った。02年の2月だった。その時は挨拶をしただけで、どうしてもシナリオを渡すことができなかった。ただ、胸がいっぱいだった。シナリオの中でずっと一緒だったその人に会ったのだから。会う前は、現在どんな暮らしをしているか見当もつかなかったから、前科者になっていたりアルコール中毒になってないことを祈った。実際のカム・サヨンさんは、幸いなことに、今も野球をつづけていて、幸せそうだった。 最初は映画化の話を真に受けてくれなかった。でも、その後も何度か会い、シナリオを渡した時点で、やっと真面目に考えてくれて、承諾後は積極的にアイディアを出してくれた。例えば、「最近はコメディ映画がヒットしているらしいから、もっとコミカルな部分を多くしたら」とか、「デートシーンもあったほうがいい」とか(笑)。
子供の頃はOBベアーズの熱烈なファンで、大多数の友達と同じくパク・チョルスン投手が好きだった。カム・サヨン選手のことは、とても下手な選手として覚えていて、兵役中も運動が苦手なやつを「お前はカム・サヨンか」なんてからかったりしていた。でもある日、「なぜ僕は彼を馬鹿にするんだろう」と自問した。彼が敗戦処理専門投手で、1勝しかしなかったからって、同情したり馬鹿にしたりするのは間違いだってことに気づいた。人は夢を持ちつづけることのほうがずっと大切なのだから。 僕自身、中学生の頃から映画監督になることを夢見てきて、当時から「キム監督」と友人たちに呼ばれていた。そして高校時代は、大学の映画科に進学することを夢見たし、カンヌ映画祭でグランプリを受賞する夢も抱いた。第1作にとりかかっている今、僕は命がけで取り組んでいるが、このあと第2作第3作と撮りつづけられるのか、それは誰にもわからない。監督協会に名を連ねていても、たった1作で姿を消す人は数多くいる。だから、カム・サヨンは現在や未来の僕の姿でもあるし、夢を持つすべての人と重なるのだ。 シナリオの第1稿を書き上げたとき、カム・サヨンさんに会いに行った。02年の2月だった。その時は挨拶をしただけで、どうしてもシナリオを渡すことができなかった。ただ、胸がいっぱいだった。シナリオの中でずっと一緒だったその人に会ったのだから。会う前は、現在どんな暮らしをしているか見当もつかなかったから、前科者になっていたりアルコール中毒になってないことを祈った。実際のカム・サヨンさんは、幸いなことに、今も野球をつづけていて、幸せそうだった。 最初は映画化の話を真に受けてくれなかった。でも、その後も何度か会い、シナリオを渡した時点で、やっと真面目に考えてくれて、承諾後は積極的にアイディアを出してくれた。例えば、「最近はコメディ映画がヒットしているらしいから、もっとコミカルな部分を多くしたら」とか、「デートシーンもあったほうがいい」とか(笑)。






